平和の語り部事業(第1回 語り部の会)

平和の語り部事業(第1回 語り部の会)を開催しました!

─ 第1回 講師 岡本静さん ―
青年部副部長 中岡 美佳 記


 

去る9月8日、高知県護国神社の済美館をお借りして、青年部主催の「第1回語り部の会」を開催しました。

参加者は、高知県遺族会の理事と青年部の活動企画メンバー合わせて17名。

 

報道各所にもお声がけしたところ、沢山の方が取材に訪れ、ニュース、新聞に取りあげていただきました。

 

 

戦争の悲惨さ、平和の尊さを身をもって体験した方々の辛く悲しい記憶は、戦争の惨禍を繰り返さないための貴重な教訓です。

それを確実に次世代へと繋げるため、日本遺族会と連携し、今全国の遺族会で平和の語り部活動に関する取り組みが進んでいます。

 

高知県では、今年4月に開催された青年部の活動企画会議において、「ナツボラ(体験型の語り部活動)」を継続していくことが決定されるとともに、平和の語り部事業に関するいくつかの企画案が提出されました。

 

会議では活発な意見交換がなされましたが、全員の企画案に共通していたことが、「戦争の記憶を記録していく、そしてそれを発信していく」ということでした。


そこで、令和6年度は「語り部の会」を開催し、その様子を動画撮影しようということになり、有志のプロジェクトチームを立ち上げ、第1回の講師を高知市の岡本静静さんにご依頼しようということが決定しました。


岡本静さんは、昭和8年2月17日、当時、ご家族が百貨店を経営されていた、フィリピン国ミンダナオ島ダバオ郡マテ市(現在のダバオ市)で誕生。

8歳の時に太平洋戦争が勃発し、戦渦に巻き込まれるフィリピンでご家族12人を次々に亡くされ、12歳の時にたった一人で日本に帰国された方です。


 

私が初めて静さんに出会ったのは、8年前のフィリピン慰霊巡拝の時でした。

 

出発前の羽田空港のレストランで伺った、壮絶な戦争体験に言葉を失いました。

その後、沖縄土佐之塔での慰霊祭でご一緒した時にも今な きじん帰仁城跡を歩いている時、近くの木を指差して「これ、ラワンの木。この木にもたれて死んでいる兵隊さんを見たわ。」とおっしゃったのも心に響きました。

 

静さんから聞くお話のすべてが、実際に戦争を体験した人でないと語れないもので、「いつか、青年部の皆に聞いて欲しい。なんとしても静さんの生の声を…」とずっと思い描いており、『語り部』という言葉を聞くたび静さんのことが浮かんでいました。

今回、ぜひともお話をとお願いしたところ、快く受けていただき、事前の打ち合わせを経て当日を迎えました。

 

生まれ育ったマテの美しい海。

祖父、父母、姉2人、兄、妹3人、弟2人、そして静さんの家族13人での幸せな暮らしは、戦争により一変します。

戦況の悪化により百貨店は閉店。

間もなく、家族でジャングルを逃げ惑う日々が始まります。

突然の爆撃により、すぐ隣で眠っていた下の妹が即死。亡くなった父の姿。

床に伏した母からの言葉。
幼い妹を埋葬する時、どうしても顔に土をかけられなかったこと。

衰弱して動けなくなった姉を置いて移動するしかなかった状況。

 

12歳の少女が体験した日々はあまりに残酷で悲惨なものでした。
また、静さんは、ジャングルでの逃避行の様子を絵に描いており、その数は200枚にものぼるそうです。

 


当日はその中から数枚をお借りして、お話と並行しながらご紹介しました。

 

御歳91歳ということで、暑い時期のご体調なども心配しましたが、当日は矍鑠としたご様子で、お話の声もハッキリと聞き取りやすく、会場の皆さんはお話に引き込まれている様子でした。

 

静さんの体験は、「ひとりぼっちの帰国―フィリピン・ミンダナオ島から生還した12歳少女の奇跡―」という本にまとめられており、高知市の図書館などで借りることができます。

 

遺児の方々も高齢化が進み、直接お話が伺える機会も少なくなりつつあります。

私達孫世代にできることは、遺児の皆さん方からお話しを伺い、皆さん方の思いをしっかり受けとめて、次世代に繋げていくことだと思います。

 

今後も、こういった語り部の会を開催し、記録に残していくと同時に、私達の心にも刻んでいきたいと思っています。

 

改めて、岡本静様、ご家族の方々に御礼申し上げます。


 

【取材をしていただきました】

 

 

【高知県遺族会報 令和6年10月月号より】

 

2024年10月25日