芸西村忠霊塔清掃活動及び安芸支部との交流会に参加して
令和3年10月23日
吾川支部 比山 多恵
高知県遺族会青年部(次世代の会)の活動として、芸西村忠霊塔清掃活動及び安芸支部との交流会に参加させていただきました。
10月23日朝、爽やかな秋空の元、少しの肌寒さと残暑を思わせる日差しの中、護国神社下境内駐車場へ集合しました。
久しぶりの再会でお互いの近況を交わしながら、出発前の貸し切りバス車中では和やかな雰囲気の中、遠足のような気分で現地へ赴きました。
バスに揺られて半時間程度で芸西村琴が浜に到着すると、青年部黒川部長より、「なによりも安全でかつ楽しく」とのご挨拶の後、藤戸支部長(芸西村遺族会)はじめ現地の皆様の温かい歓迎を受け、きらきら光る太平洋をバックにお掃除の取り掛かりに一層やる気が増した事でした。
お世話役の方々による役割分担や予定の説明を受け、不安なく清掃活動に取り掛かることができました。
現地の方のお話しでは、定期的にお手入れをして清掃しているそうで、どこをお掃除したらよいかわからない程きれいでしたが、参道や忠霊塔周りの草を刈り取ったり、一基一基建立しているお墓の周りの草を引いたり、落ち葉を掃いたり拾ったりしながら、戦いのため犠牲になった多くの方々の事を、戦争を知らない世代なりに思い浮かべて追悼の念を抱いたことでした。
(芸西村西分地区の忠魂墓地清掃の様子)
(芸西村和食地区の忠魂墓地清掃の様子)
作業後は皆でお墓に向かって手を合わせ、自分たちにできるこのささやかな清掃活動を通して、せめてもの慰霊の気持ちが届きますようにとの思いで拝礼し、次の場所へと移動しました。
移動の際には、観光名所でもあるお龍さん姉妹の銅像を案内していただきました。
遠く海の彼方の桂浜の龍馬像に向かって優しく手を振る姉妹の姿を見ると、亡き人を思う気持ちの尊さはいつの時代でも変わらないものであることに気づかされました。
芸西村では「馬ノ上」というやや高い丘の上にも忠霊塔があり、分かれていた班と合流し再び清掃を行うとともに、集まった方々との交流もでき、ちょうどお腹もすいたころ、昼食会場へ。
(馬ノ上忠霊塔清掃の様子)
コロナ禍が続くこの頃、美味しいものを人様とご一緒できる機会も少なくなっていた中で、万全の感染対策をしていただき、皆様との会食の場に恵まれ、久しぶりに秋の味覚を堪能しました。
午後からの交流会では、芸西村以東に建立されている忠霊墓碑についての紹介や、地元でご尽力賜った村長様のお話しなど聞かせていただきました。
(藤戸 安芸支部長の講話と、聴講する青年部員)
「何気なく居住する町村のあちこちで静かに佇む墓碑の存在を知ってもらうことも大切なこと」また、「少子高齢化などが進み、墓石や塔の破損に気づいて修繕しようと発言する人も少なくなってしまった。」という具体的な悩みにも触れ、広報活動や維持管理の問題など様々な意見が交わされ、私も個人的な感想ではありますが、学ぶべきことがたくさんありました。
私は昭和40年代に生まれ、父方の祖父を沖縄戦で当時20代の若さで亡くしたと聞いております。
平和な時代に生まれ育った私には、犠牲になった方々のつらい思いは到底計り知れません。
けれども、かつて犠牲になった戦没者の無念さや遺族の悲しい思いを後世に伝えることのお手伝いは微力ながらでもできるのではないかと思います。
まさしく青年部 黒川部長のおっしゃる「身の丈にあった活動」「やれることから実行し成長して行きましょう」というお言葉は私たち青年部の部員にとっても励みになり、勇気付けられます。
清掃活動に参加された皆様、お疲れ様でした。
温かくおもてなしいただいた安芸支部(芸西村)の皆様に感謝するとともに、準備等携わったスタッフの皆様にも労いと感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
(馬ノ上忠霊塔前にて、参加者の皆さんと)